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だれでもマネが出来ることが「奥義」?

 経営の世界の「実力者」の方々は,だんだん理論というより精神論というか宗教がかった「信ずれば成る」みたいな話にずれていく傾向があるように思います。こういう人たちの話を曲解して道を踏み外し続けてきたのが「本当のこと」から目をそらすタイプの「経営者」なのでしょう。

 教育の世界では,それほど影響力をもった「教祖」がいないのが救いです。

 昔,小学校の教師たちが好んで読んだ「実践家」の名前など,もう忘れ去られていますし,ちょっとマネをしてみては効果がなくあきらめて,また次の「教祖」を探す,なんていうヒマなことを繰り返す人たちが多くて,出版業界にとっては「最後の頼みの綱」なのでしょうが,現場のまともな教師たちには縁がありません。

 5年前の私の記事でも,「奥義」を振りかざして扇動を試みる人へのコメントを残していましたが,種類の全く異なる学校では,「教育の仕事」の共通点は非常に少ないことを現場の人間ならだれでもわかっています。

 小学校の教師が中学校に転勤して,とにかく早く小学校に戻りたいという愚痴を聞かされる立場にあって,「去りたい人」が目の前に居続ける子どもたちが気の毒でなりません。

 「救い」を求めるだけでは,それは学問でも教育でもなく,ただ自分の心だけを治療しようとする信仰にすぎなくなってしまいます。

 都合のよいデータだけを頼りに,都合の悪いデータには一切目を向けず,「これが奥義だ」と宣伝している人間を頼ろうとする教師がなぜ生まれてしまうのか。

 落ち着いて考えてみて下さい。

 「国や家族のために死ぬ覚悟をもつこと」が軍人の「奥義」でしょうか。

 アタマを使って考えればわかることが,ココロに邪魔されて機能しなくなる状態は,教育現場に立つ人間の在り方としては絶対にふさわしくありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より