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小1の熱中症死亡で変わる教育計画

 学校の教育活動の中で,また尊い命が失われてしまった。

 わずかな時間の校外学習で子どもが亡くなるリスクまで,学校は想定していなかっただろう。

 「どうしてこんな炎天下で子どもを歩かせるのか」と言い出したら,外での運動(体育の授業)など一切できなくなってしまう。

 中学生ですら,ちょっと動くと口癖のように「疲れた」と言う子どももいる。

 小学校1年生の「疲れた」という一言に対して,引率の教師はどのくらいの重みを感じたことだろう。

 私も教師の一人として,子どもの一言一言の重みを再認識したい。

 教育委員会は,慌てて校長宛の注意喚起の文書を送るところだろう。

 校長によっては,水泳以外の校外での活動をすべて禁止にするかもしれない。

 教育委員会によっては,その命令を下すかもしれない。

 教師によっては,死亡のリスクが恐ろしくて教育活動そのものへの支障が出てくるかもしれない。

 豪雨災害でも多くの命が失われた。

 悔やんでも悔やみきれない事態から,残された人間が何をなすべきかを考えなければならない。

 たとえ「今さら」と言われても,教師と子ども,学校と家庭の絆をより確かなものにしていきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より