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いつから教育の世界は薄っぺらな本を読んだだけで何かが変えられるという幻想に囚われるようになったのか

 ある編集者の方が話していた内容を以前に紹介したかと思うが,おおよその内容を思い出して記しておく。

 出版業界はとても厳しい。でもまだ売れる本がある。それは,「薄っぺらい本」。

 薄っぺらい本でも,内容が濃かったり,難しかったりすると,売れない。

 さーっと読めるような本が売れるらしい。大学入試の参考書と比べて,教員が読む本がいかに「易しい」(内容が乏しい)ことか。

 本は寿命も短いので,薄い方が倉庫を圧迫せずにすむ。

 こういう流れがあるから,せっかく大学のセンセイが出すという本なのに,「厚めのパンフレット」のようになってしまっている。

 ただでもらえる『東京防災』の方が厚いし中身が濃い。

 内容が薄っぺらになっているのは,大学の授業も似たようなものではないか。

 大学の授業でアクティブ・ラーニングが取り入れられるようになると,資料と合わせて今までノートで十数ページあった教員の講義メモが,2ページくらいですんでしまうようになるから,教員の側にとってはよい「働き方改革」になっていくだろう。

 いわゆる「ゆとり世代」以降の大学生たちの授業に対する態度が,以前にも増して受け身になっているというデータがあるらしい。だから主体的な学びを促す意味での授業改善が必要なわけだが,中学校レベルくらいに内容の質を落とさないと,議論も成立しない。

 もう,「薄っぺら」な話はやめにしてもらえないだろうか。

 教育が「願い」だけで成立するように思わせている本を買わされても,騙される教師などいないと信じたい。

 「本を読んでも上手くいかない」理由は,読んだ人も本を書いた人も未熟なだけである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より