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反対派は「潰す」ものではなく,「気づかせる」もの

 ときどき学校に介入しては,責任もなく去っていくような「パートタイマー」にも,教育を語る資格はある。

 心にもないお世辞で教員のやる気を高めようとする人間では教育現場は変えられないと思っていたが,私が指導主事としての研修を受けているときは,ストレートな「助言」は避けるように指示されていた。

 しかし,まともな教師が求めているのは,きちんとその教育実践の課題を指摘してくれる「専門家」である。

 今はそういう「専門家」のニーズがないだけでなく,「専門家」自体がいないことが悲しいところである。

 今,指導主事が全く頼りにされていない現状は嘆かわしい。お互いが育たないままで終わってしまう。


 現場の話。

 真面目に教育の仕事をしていると,指導の方針でぶつかり合うときが必ずある。

 生徒の多少の変化には目もくれず,決まったとおりのことを実行したいタイプの教師と,

 生徒の変化を微妙に感じ取りながら,そのときの最善の指導を行いたいと願う教師が対立し合う場合がある。

 どちらも間違ったことを主張しているわけではないので,声のでかい方に消極的な教師はついていってしまう。

 声と態度がでかい人間は,たいてい,教員の世界では迷惑な存在である。

 しかし,子どもも前でも迷惑をものともせず,自己主張を展開できる人間を教育現場は求めている面もある。

 だれもが教育への自信を失い,後ろめたさや失敗への恐怖から,及び腰の指導に流れている学校では,特に。

 お互いに,お互いの良さを「気づき合う」こと。

 お互いに,お互いのこだわりの質の違いを「気づき合う」こと。

 目指している方向性は同じであると気づくこと。

 そういう人間と人間の関係を子どもにも体験させてあげたいから,「敵」は決して潰してはならない。

 「敵」を潰して成り上がるか,自分の地位を保とうとする人間は,子どもの前にはいてほしくない。

 「自分に悪口を言ってくる人間」を「敵」とか「ろくでもないやつ」として固定したがる人間は,教育の仕事には向いていない。救いたいのは自分であって,子どもではないからである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より