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流行を追いかける人間ほど「古い人」になりやすいことに注意

 幅広い範囲に仕事を広げていくよりも,長所や独自のポイントに絞って強化を図ろうとする試みが,よく「失敗」に終わる。

 「失敗」のリスクを避けるために「広げていく」という選択肢をとっていたのに,「一人勝ちしたい」とか「流行に遅れては大変だ」という気持ちになって,集中的に力を入れた結果,そこが失敗すると「全滅」という悲惨な「終わり」を迎えることになるパターンがある。

 では,「分散化」を進めていけばよいのか,というと,そう単純な話ではない。

 集中から分散へ,規制から自由化へ,などという「変化」の意味を,「すべて分散」「すべて自由化」という誤った意味で捉えている人がいるが,その原因はそもそも「業務」の範囲が狭いことにある。視野が広ければ,誤解を生じることもなかった。狭い視野で仕事ができてしまう環境が,発信される情報の質をどんどん低くしていく。

 人間は,「負け戦」が見えてくると,どこかに資源を集中したくなる欲求に襲われやすくなることを忘れてはならない。自棄になってはならないのである。

 集中した先に,希望を託した結果,「集中しなければよかった」という残念な気持ちになったり実害を被ったりするチャンスがあればまだ救われる。改善しようとする意欲がわいてくるはずだから。

 自分は血を流すことなく,他人を使って「集中」させ,責任は他人に押しつけて,自分は「失敗」という結果の責任を負わなくてすむ組織で,なぜ不正が多発しているか,その理由はとてもわかりやすい。

 口先だけの「責任感」で生きていける連中が,「責任感という言葉を使うやつは,そもそもそれがないやつらだ」ということがわかっている厳しい環境で生きる人々を窮屈にさせている。

 「総合的な学習の時間」が「失敗」に終わり,「主体性という理想的な能力が育つ」という幻想が消えてなくなっているところへ登場したのが「アクティブ・ラーニング」である。

 「道徳のアクティブ・ラーニング」などと今さら口にすることは恥ずかしいことである。

 道徳の学習が今までの学校教育の中で,最もアクティブ・ラーニングでなければいけなかったことに気づけない人は痛い。

 気づけない人が多かったからこそ,「道徳の教科化」という流れになったのであるが。

 部活動についても,特に中学校教育の経験がない人に世の中の変化の「読み誤り」が多い。

 日本が「遅れ」に気づいて変えてしまった後,すでに世界の潮流が変わり,「変える前が最先端だった」ことがわかり,「変えずにいればよかった」と後悔しても遅い。

 教育では「流行」を追いかける人間ほど「古い人」になりやすいことに注意すべきだろう。

  
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より