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子育てが上手くいかないのは当たり前

 子育てが満足にできない「親」が増えていると嘆く,自分も子育てが上手くいっていない教師がいる。

 「お互い様」である。

 誤解を招くかもしれないが,私のそれほど広くなく長くない教員生活で,「子育てが上手くいっている」ように見える教師の子どもはとても少なかった。「問題児」もいたし,「不登校」もいた。

 教師という職業が,いかに「過酷」なものかがわかる話かもしれない。

 教師だけでなく,医者も特に子育てに苦労しているように見える。

 「背負っているもの」の重さが違うからだろうか?

 私のある友達の親は弁護士だったが,友達の日常的な行動から,明らかに「失敗」の域に達していたし,裁判官の親は,子どもの言うことしか聞かなくて,教師の話に耳を傾けようとはしなかった。

 芸能人の子どもは頑張っていたが,子育てに苦労するというより,親自身が自分のことに精一杯で,そのおかげで自立できたのでは,という「成功例」もある。

 親の思い通りに子どもは育たないもの。

 自分もそうだった。私の父親は,教師になることに反対していた。

 母親は,自分の親(私の祖母)と姉が教師だったせいもあるかもしれないが,別に反対はしなかった。

 毎日のように,犯罪者の容姿が映像で晒される。ときどき,「肉親の声」として,親がインタビューにこたえている場面も報道される。「子育てに失敗した人間」を晒し者にする「演出」によって,社会全体を覆う不満を抑えようとしているのだろうか。

 ときどき,「家庭を大事にしている」ことを宣伝する恥知らずの教師もいるが,私の職場にはそんな人間がいないので助かる。

 教育は基本的に「失敗するもの」という前提から出発することが大切である。

 ただし,「失敗作」を自らの手で葬り去ったり,ネグレクトしたりするのはやめてほしい。

 人間が背負うのは「責任」であり,「他人の人生」そのものではない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より