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日本でアクティブ・ラーニングが知識注入型に陥る理由

 日本の「主体的・対話的な学び」と呼んでいるものが,結局は「知識注入型」に陥ってしまう理由は,学校における「同調圧力の強さ」にあります。

 地方のある大学附属の授業を参観しました。

 アクティブ・ラーニング風を装っていますが,ワークシートが導く先は画一的で,同じような答えが書かれるだけです。

 「こういう学習では確かな知識が身に付かない」「評価はどうするのか」という批判があることを想定した,「アリバイづくり」としてのワークシートやそもそもの指導計画があるのです。

 学校文化がそうだからかもしれませんが,「異質な答え」が出てくる余地がありません。

 そして,社会科教育をしている人間としては,絶対に素通りさせてはいけないはずの教材がそこにあるのに,放置されたままになっています。ワークシートで問われていないからです。

 「問い」「疑問」を子どもが発する空気がない場所では,同調性はますます高まるばかりで,「真の協調性」は身につかないのです。

 「真の協調性」とは,異なる意見や異質な考え方を持っている人ともうまくやっていく力のことです。

 「同調圧力」は「玉砕戦」を産み出し,「真の協調性」は対話による戦争回避を産み出すのです。

 日本の学校には,そもそも「真の協調性」が養える土台がないのと,つくろうとする意思もないのです。

 アメフトやレスリングで起こっている事態を,単に「監督」「指導者」の責任としてすますことはできないのです。

 研究授業で最も醜く見えたのは,「教師の想定している答えを忖度して答える子どもの態度」です。

 これを私は「逆コンピテンシー」と呼んでいます。

 教科書を使ってやるような,下手くそな道徳授業を思い浮かべてもらうとよくわかると思います。

 子どもから「自分と異なる考え」を引き出すわけでもなく,子ども間で「そこは違うだろう!」とツッコミを入れ合う環境を作るわけでもなく,ただひたすらワークシートに効率良く文字を埋めていく作業を見ているのはつらいのです。

 『学び合い』で,塾で知識や技能を身につけてしまっている子どもが,そうでない子どもに先生の代わりに知識を注入していく姿を見ても,本当に「この世の終わり」を感じます。

 アクティブ・ラーニングでは,「言葉」や「図」などを駆使して意見を交換しあいます。

 「死んだ言葉」と「生きた言葉」の違いにできるだけ早く気づいてほしいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より