日本サッカーの「壁を越える力」
セネガル戦には,大勢の日本人サポーターが駆けつけたということである。
今大会の最大のツボは,初戦の開始早々,日本が得点を決めたことにある。
しかし,ただラッキーなだけではなかったことが,セネガル戦で示されたと指摘する人が多い。
2度リードされたが,どちらも追いついた日本チーム。
試合内容としては,むしろ日本が勝っていたとセネガルのメディア関係者が語っていた。
日本サッカーが本当に「壁を越えた」のかどうかは,ポーランド戦でわかるのだろう。
得点がとれるパターンをしぼり,そのためのプレーをずっと狙っていたことが勝因にあるようだが,
個人技よりもチームプレーに徹する,というスタイルが,あまり浸透しなかったのがサッカーというスポーツなのだろうか。
私はスポーツとしてのサッカーにはほとんど興味がないから,どうしても試合後にゴミを拾う「日本人サポーターの美徳」なんていう記事に目が行ってしまう。別会場だったセネガルのサポーターも,同じようにゴミ拾いをしている姿が紹介されていた。
ゴミを拾うために雇われている人の金も,俺たちが払ってるんだ,と言って片付けずに帰ってしまう人を責める気持ちはない。
ただ,自分が汚した場所を自分で元通りにする,それが当たり前だ,という価値観が,学校の教員にはほしい。
自分で乱し,崩した子ども集団を放り出して帰ってしまうような教員は,本当にいらない。
働き方改革の意味を,もう一度考えてほしい。
一部の教員には,自分のゴミを平気で他人に拾わせるような非道が見られる。
残念ながら,今の教育現場の働き方改革には,「他人にゴミを拾わせる」ことへの異常な情熱を感じる。
逆である。気づいたときにはもう遅いだろうが。
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