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子どもたちに多大なストレスをかけている道徳

 ある中学校の公開授業に参加していた。

 廊下が広く,入り口の扉も広かったので,道徳と社会科,国語,英語,数学の授業を参観することができた。

 一番気になったのは道徳である。

 子どもたちの重苦しい雰囲気の原因は,そのテーマだった。

 「寛容」「相互理解」という道徳的価値がテーマだったのだが,子どもたちの表情は固まったままだった。

 道徳授業そのものへの「寛容」や教師との「相互理解」を拒絶したいとするメッセージが感じ取れた。

 おそらくだが,この教師は道徳の公開を「やらされた」のだと思われる。

 何の教科の先生かはわからないが,保健体育科のような雰囲気があった。

 なぜこんな「不幸」な時間を担わされるのか,と子どもも教師も口にできない「不幸」が哀れである。

 道徳の教材の場合,「考えろ」を言われても,その「前提」が明示されていないケースが多い。

 ダメな典型と呼ばれる国語の授業のように,物語の主人公になりきって,と言われても,
 
 日本のように「場の空気」によっていくらでも立場や考え方が変化しうる国では,

 「空気感」に違和感があるだけで,「考える」という脳の回路は停止してしまう。

 このまま毎週毎週,重苦しい時間や雰囲気を耐え続けることで,就職すると経験させられる

 「意味のない会議」に慣れさせる,というねらいがあるのならわからないでもないが,

 子どもは授業でストレスを抱えると,いじめや暴力などの問題行動への歯止めがききにくくなる。

 他の教科を見る限り,「教師によく飼い慣らされている子ども」という印象が強かったが,

 道徳については,「内に秘めた抵抗」が手に取るようにわかった。

 人間は,「不当な支配」に寛容であるべきではない。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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