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子どもに信頼される教師になるための唯一の手段

 教師は子どもに自分の実像をさらすことができるか。

 週刊東洋経済で『非常時の組織論』を連載している伊藤祐靖さん(特殊戦指導者)の言葉が胸に焼きついた。

自らの実像をさらせない心が,猜疑心を生み,猜疑心の宿った心は盲信に依存する。その二つが色となり,まっさらに人を見る心を塗り潰し,相手の実際の能力を見誤ってしまう

>猜疑心と盲信のない人間同士の関係は強く,組織の場合,取り巻く環境が厳しくなっても揺るがない。

>意思疎通の根源は,仲間の真の能力を理解することだから

 自分が道徳の授業をする資格のある教師かどうか,その判断は容易なものではないはずである。

 教育は難しい。

 ダメな自分を子どもにさらして好きになられる教師もいれば,毛嫌いされる教師もいる。

 実像をさらさずに子どもに好かれる教師もいれば,見透かされて軽視される教師もいる。

 「オレはこんなに偉いんだぞ」「こんな賞をとったんだぞ」「こんな本を書いているんだぞ」

 と虚勢を張らなければ相手にされないと思って焦っているセンセイもいる。

 子どもに信頼されないのに,「子どもを救いたい」と願う人にできることは何なのだろう?

 偉そうに「子どもを見捨てない」などと粋がるのではなく,

 子どもを「透明な心」で見ることの方が大切なのではないか。

 「透明な心」で大人から見られることの方が,

 「こいつは将来,つく仕事がないだろう」「こいつの将来は暗い」「こいつの未来はない」

 などという目で「普通の授業」を受けているところを見られることよりもずっと有益だろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より