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公開授業で「いじめ」がバレた道徳授業

 ある中学校の公開授業の道徳の授業の導入部分で,「友達を助けた経験」を生徒が発表する場面があった。

 二人の生徒から,「いじめられていた子を助けた」という発表があった。

 そのときの言葉が気になった。

 二人とも,「いじめっていうのではないんですけど」という枕詞を使っていた。

 「いじめ」は「被害者」以外が「いじめ」かどうかを判断するものではない。

 被害者が「いじめを受けている」と言いにくい空気がある学校も多い。

 「セクハラ」などの「ハラスメント」も,同じようなものである。

 道徳の授業では,多くの生徒が「黙っていた方がよい」という空気を醸し出しているが,

 ときどき「空気が読めない」「空気を読まない」生徒の発言で「問題」が浮き上がる。

 こういう生徒の「勇気」が評価される学校がどれだけあるだろうか。

 「正直」が評価される社会がどこにあるだろうか。

 「ウソ」の方が評価される国に生まれた子どもたちは,今の道徳の授業に「ぴったり」なのだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より