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自分で自分を誠実だと言える力は必要か?

 日本の道徳教育には,欧米の常識とバッティングする部分があります。

 「誠実であろう」とする態度や気持ちが大切であることは教えますが,

 「自分は誠実である」と宣言するような姿勢は重視しません。

 そんな態度の子どもを見たら,「言葉を慎みなさい」とか,「態度で示していれば,言葉にしなくてもよい」などという声かけをします。そんなことなら,道徳なんてやる必要はない,という意見も全くその通りなのですが,「不遜な態度」というのを「大人」たちは忌避します。

 「誠実な人間なんて,いない」という前提からスタートするから,道徳教育が存在するのです。

 では,「大人」なら,そういう「不遜」な態度をとってもよいのでしょうか。

 多くの子どもが気づいていると思いますが,「道徳」でナントカしてほしいと願うのは,

 「子ども」ではなく「大人ども」なのです。

 教員の犯罪行為が報道されるたび,「先生たちは何をしているんだ」と憤慨し続けているのは子どもの方なのです。

 自分で自分を誠実だと言う必要があるのは,そんなことを信じてくれない人たちの中で仕事をしている,孤独で哀れな年寄りだけなのです。

 「あなたは誠実ではない」と言われることに耐えられない年寄りには,近くにいる人がしっかりわからせてあげないといけないのです。

 未来がこうなる,とかああなるとか,自分はわかっているんだ,なんてことを偉そうにまき散らす人間は,決して「誠実」な人間とは言えないということを。

 「オレが書いている本を読めばわかる」なんていう人間の,どこが誠実なのか,ということを。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より