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「上から目線」が「意欲を高める」学校

 「上意下達」が伝統的に文化として重視されているのが「地方の学校」だろう。

 大学の教育学部の附属ともなると,その存在意義を決めるのは大学である。

 大学よりも附属の方が高いブランドになってしまっているところもあるが,

 そもそも「附属」は「附属」なのだから,本体がしっかりしていないと意味がない。

 気の毒なのは,附属の先生方と子どもたちである。

 実は自由なところもたくさんあるはずの附属学校だが,

 私が参観した学校の痛いところは,子どもたちを教師たちが強いコントロール下に置き,

 「飼い慣らす」文化があるらしいところである。

 子どもがプライドを持っているのはかまわない。

 しかし教師がそこをくすぐって「意欲を高める」ことを狙うのは間違いである。

 子どもが「主体」ではなく,ブランドが「主体」となってしまう。

 ブランドが「主体」だと,危機管理の対応が子どもではなくブランドを守るという方法に向かってしまう。

 「社会参画」がテーマの社会科の授業であれば,「どのような立場で考えるか」が非常に重要だが,その設定が

 「上から目線」であった。

 子どもの「主体性」を生かす授業をしなければ,「組織」の方が大事,という価値観を植え付けることになりかねない。

 蛇足だが,授業見学に来ていた教育学部の大学生だろうか。学校の隣のコンビニに車を駐めて会場に入っていった。駐車場が満車にならない地方のコンビニだから,ご当地ルールでOKなんですか?と職員に聞いてみたが,学生は車で来てはいけないことになっていたそうだ。その学生が参観していたのが道徳の授業だった。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より