「上から目線」が「意欲を高める」学校
「上意下達」が伝統的に文化として重視されているのが「地方の学校」だろう。
大学の教育学部の附属ともなると,その存在意義を決めるのは大学である。
大学よりも附属の方が高いブランドになってしまっているところもあるが,
そもそも「附属」は「附属」なのだから,本体がしっかりしていないと意味がない。
気の毒なのは,附属の先生方と子どもたちである。
実は自由なところもたくさんあるはずの附属学校だが,
私が参観した学校の痛いところは,子どもたちを教師たちが強いコントロール下に置き,
「飼い慣らす」文化があるらしいところである。
子どもがプライドを持っているのはかまわない。
しかし教師がそこをくすぐって「意欲を高める」ことを狙うのは間違いである。
子どもが「主体」ではなく,ブランドが「主体」となってしまう。
ブランドが「主体」だと,危機管理の対応が子どもではなくブランドを守るという方法に向かってしまう。
「社会参画」がテーマの社会科の授業であれば,「どのような立場で考えるか」が非常に重要だが,その設定が
「上から目線」であった。
子どもの「主体性」を生かす授業をしなければ,「組織」の方が大事,という価値観を植え付けることになりかねない。
蛇足だが,授業見学に来ていた教育学部の大学生だろうか。学校の隣のコンビニに車を駐めて会場に入っていった。駐車場が満車にならない地方のコンビニだから,ご当地ルールでOKなんですか?と職員に聞いてみたが,学生は車で来てはいけないことになっていたそうだ。その学生が参観していたのが道徳の授業だった。
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