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高校のゴールが見えていないので中学校の移行措置もやりにくい

 今回の指導要領への移行は,いろんな意味ですでに「失敗」である。

 高校から小学校に向けての串を無理やり刺したのもそうだし,もし高校から刺していくのであれば,高校の改訂を先にすべきだった。

 手当が必要だったのは高校教育(もとはと言えば,大学教育)なのだから,高校を最初に改訂してしまえばよかった。

 しかし,新しい指導要領への移行は下から進んで,「古くてダメ」とされる指導要領で学ぶ子どもと新しい指導要領で学ぶ子どもが綺麗に区別できるように設計されていたから,今回も小学校から移行が始まっているのである。

 地理総合も歴史総合も「総合」なのだから,新科目というより,統合・再編されてできるもののはずである。

 ただ,指導要領の趣旨から言うと,どっちも「テーマ学習」(資料集で言えば,特設ページに当たるもの)しかできなくなるわけで,「学力低下」は最初からはっきりしている。また10年も経たないうちに「見直し」が始まって,「ゆとり」から「詰め込み」に揺り戻しが来るのだろう。

 中学校にしろ高校にしろ,「思考・判断・表現」の活動がまともにできるのは,3割から4割の生徒だと思ってよいだろう。グループ活動をさせれば,1班に1人はできる生徒がいるから,全体として成立しているように見えるかもしれない。

 小学校と同じで,「成立しているように見える」ことを重視するのが「アクティブ・ラーニング」だと考えれば,高校の小学校化が進んでいくだろう。動きの中心になっている人の前職を辿っていけば,納得できる話である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より