ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 子育てが上手くいかないのは当たり前 | トップページ | 不道徳の見本としての日本サッカー »

「キレる親」をどうするか

 「キレる人間」を容赦なく攻撃できる時代になった。

 しかし,現実の社会では,直接的な行動は取りにくい。

 目の前で,親が異常な勢いで子どもを叱っている場面を見たとき,人はどう思うだろうか。

 親に注意できる人間がいるだろうか。

 子どもに優しい言葉をかけることができる人はたくさんいるかもしれないが,

 「異常な怒り」に震えている大人にかける言葉を持っている人は多くはないだろう。

 隣の家で,激しい子どもの泣き声と,親の怒鳴り声が聞こえてきたら,どうすればいいのだろう。

 
 一昔前は,「すぐにキレる教師をどうしたらいいか」と悩む管理職,同僚,子ども,保護者が多かったが,

 今は,すべての教育関係者が「非難される」ことを避けるために,「おとなしく」なっている。
 
 その逆の作用なのだろうか,教師のかわりに「親」がキレ出している。

 今の「親」は,「キレている教師」を見て育っている世代であるから,

 「キレる親」の「産みの親」は,その親と教師なのかもしれない。
 
 私が「キレる教師」になったのは,親と教師と部活のコーチのせいだ,と言い訳したいわけではないが。


 「キレる親」と「つぶされる子ども」というエピソードを学校側が流せるようになるには,

 「あんたはキレないんだな」という恫喝に屈しない覚悟が必要である。

 
 「キレる親」とは,正面から「対立」する必要がある。

 (「キレる子ども」とも同様であるが)

 「対立」から「協調」に転換できる材料がいくらでもあるのが「教育現場」というところである。

 「教育現場」は,人間の「信用」を,人間と人間との「信頼」関係によって生み出せる場である。

 「自由と制限」「不易と流行(維持と変化・発展)」という尺度をもって,「二項対立」ではなく,

 「よいよい生き方」ができる「よりよい社会」の実現に向けて,「自由も制限も大事」などといった

 共通の価値観を獲得していく場である。

 
 「対立」から逃げない教師の覚悟が親に伝わり,家庭の教育力も向上することを願いたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 子育てが上手くいかないのは当たり前 | トップページ | 不道徳の見本としての日本サッカー »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「キレる親」をどうするか:

« 子育てが上手くいかないのは当たり前 | トップページ | 不道徳の見本としての日本サッカー »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より