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「振り子」の外交と学習指導要領

 新しい学習指導要領にも,当然のことだが,決して「新しくない」ことがたくさん含まれている。

 保健体育科の「銃剣道」のようにびっくりするほど「古い」ものもあれば,

 小学校のプログラミング教育のように,ディスプレイから目が離せないようにするという意味での「古い」ものもある。

 よく,「ゆとり」と「詰め込み」という対比がなされるが,学校教育の基本は「詰め込み」である。

 中学校なら50分たったら,必ず次の授業の開始のために準備を始めなければならない。

 体育の授業の後に着替えて音楽室に移動する子どもの忙しさが想像できるだろうか。

 時間によって管理される子どもに「ゆとり」など存在しない。

 それなのに・・・「主体的・対話的で深い学び」もしろ(させろ)という。

 道徳については,今までのやり方ではダメだ,という前提から「特別の教科化」が始まっている。

 「考え,議論する道徳」が必要なのだと。「パン屋ではアウトで和菓子屋ならOK」という価値観に揺さぶりをかけるような授業も可能になる。

 一方,学校には,昔から「特別」という名称がついている「特別活動」の時間もある。
 
 年間たった35時間で,学級活動から行事(儀式や宿泊行事も含む)の準備まで,時間が足りているところがあったら教えてほしい。35時間以上やっているから「特別活動」だという解釈もできる。 

 いっそのこと,数学にも英語にも,「特別の数学」とか「特別の英語」と名付けてみたらどうか。

 「すべてが特別」になって「特別」感が薄れて初めて,「そんなことで時間を浪費する公教育はおかしい」ということに気づけるはずである。

 「ダメな箇所をその場しのぎで何とかする」発想でいるから,「振り子」に例えられるのである。

 どこかの国の外交と同じである。

 世の中には,絶滅危惧種のように,そんなものに振り回されずに生き残っている学校がわずかだがある。

 だれにも気づかれないまま残しておきたいものである。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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