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寝た子を起こす教育

 「寝た子を起こす」とは,せっかく収拾がついたのに蒸し返したりするなどの余計なことをして,再びもめたり問題を起こしたりすることのたとえである。教育の世界では,性教育などを例に,潜んでいる欲望が刺激されてよからぬ行動を引き起こすことのたとえにも使われてる。

 ことわざや慣用句を使い慣れない若い人たちがこの言葉を聞くと,「退屈しない授業」「集中して学べる授業」という意味にとられるかもしれない。

 私の場合は,それらのどれにも当たらない意味での「寝た子を起こす教育」の姿を思い描く。

 子どもたちが使っていない能力を発揮できる教育,といったニュアンスである。

 子どもたちがその資質や能力を遺憾なく発揮できるのは,得意なスポーツや学習をしているときだろう。

 ただ,学校には「できないことをできるようにする」という「使命」が与えられているせいで,最初は「できない」ことが前提の学習が多い。「できない」「わからない」ものは,「先生に教えてもらうしかない」という発想になりがちで,どうしても学校での子どもたちの姿勢は「受け身」になる。

 偉いガクシャさんたちは,この「受け身」の姿勢が問題なんだといって,自分の大学でもアクティブ・ラーニングを進めなければと焦っているはず(そもそも大学で求められた学びを下級校に押しつけるだけの人もいるだろうが)である。しかし,コンテンツ重視からコンピテンシー重視へと姿勢をシフトさせる度胸がなかった文科省(これは「ゆとり」失敗の後遺症)が,「コンピテンシーっぽい香りのする見方・考え方を働かせる主体的,対話的で深い学び」を導入してお茶を濁そうとしたときに,待ったをかけなかった。この罪は決して軽くない。子どもは基本的に「寝かせたままでよい」という発想でしかないから,黙認したのだろう。

 「深い学び」は放棄してしまうことを堂々と宣言する『学び合い』のような,度胸のいる実践ができる人は少ない。

 コンピテンシーとは,そもそもが優秀で好成績を残している人がもつ行動特性のことである。

 主体的で対話的だから優秀になったのではなく,優秀だから主体的で対話的な手法もとり,深い学びもできるのだ。

 100%の子どもに保障できないことを押しつけるカリキュラムがスタンダードとして扱われ,力がつかなくても卒業させるという仕組みには,どう考えても正当な「整合性」がない。

 「なぜ学ぶのか」もしっかり考えさせることができる教育を選択しないことも,大きな罪である。

 子どもたちが使わせられずに眠らされたままになり,やがて腐ってなくなっていく「思考力」とはどのようなタイプのものだろうか。それほど難しい質問ではないはずである。古いタイプの学校を消すために何ができるかを考えている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より