「かばう相手」は選手ではなかった
政治の世界とスポーツの世界がここまで似ているものだと気づかされることは,決していい気分がするものではない。
上と下に挟まれている立場にある人間は,下をかばうような言動はしない。
選手の会見。「選手がウソをついている」という趣旨のコーチや監督の会見。
どちらかがウソをついていることだけは確かである。
他の大学の様々なチームで,今,何が起こっているだろう。
「危機管理学」の専門家がいなくても,民間には「危機管理」を指南してくれる会社がある。
早急に手を打つべきだろう。
野球,相撲に次いで,アメリカンフットボール。
スポーツ界の「膿」は出し切れるか。
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