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教職員組合の悲痛な叫び

 某日本の私立大学の,教職員組合が出した声明を読んで,私が私立大学に関わろうとしなかった理由を改めて実感することができた。

 私立大学なのだから,人事の在り方など,いくらでも独裁が許されることはあるのだろうと思っていた。

 利益が出せなかったり,補助金が削られれば,潰れるのが私立大学である。

 正規の教員を絞りに絞り,非常勤を大量に抱えて儲けを出すのが私立大学である。

 この大学のナンバー2が,日本中から大顰蹙を買っている。

 爆発したのはチームだけではなく,教職員組合の人たち(もちろん教職員も)だった。

 (これを機会に)「どうにか変えてくれ」という悲痛な叫び。

 私は初めて教職員組合を応援したい気持ちになった。

 言いたいことが言えない,そんな環境では私は仕事をしたくない。

 しかし,言いたいことが言えずに我慢しなければならない人たちもいる。その中に,

 自分の教え子がいたり,我が子がいたりするのを想像したら,やはり自分も黙っていてはいけないと感じた。

 大学の経営陣,人事権を握る実力者がどんな人間なのかは知らないが,

 入れ替えられるものなら,すぐに入れ替えるべきだろう。

 大学名で人を判断してはならないことは,だれでも承知している。

 しかし,これから「特に気をつかう,あるいはつかわれる対象になるのは嫌だ」という受験生たちの感情は無視できないものがあるだろう。K学園の関連学校しかりである。

 受験者数が減るだけなら,まだ持ちこたえられるだろうが,入学者数が減り出したらどうなるのか。

 もう教職員組合の人たちは,将来の人員カット,人件費カットを計算に入れての行動を起こしているわけだろう。

 多くの「附属学校」「系列学校」を抱えていることも無視できない。

 大学名がつく中学生や高校生もたくさんいるのである。

 自分には何の落ち度もないのに,人から冷たい目で見られることのマイナスの影響力は決して小さくないだろう。

 明日の大学生の記者会見はかなりの注目度になるはずである。

 「救い」が見えてくるのか,どうなのか。

 被害届が出される事態を大学はどう考えているのか。

 たった1人の「有力者」を守ろうとした結果,「損失」がどのくらいの規模に達しようとしているのか,計算している人はいるだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より