「読み・書き」が十分でないから「話す・聞く」ができないだけ
ある自治体の小学校英語で,「書く指導」を重視したら,英語が好きになる子どもが増えたという「実績」が上がっている。今後,「小学生の英語嫌い」を減らす上で,重要な鍵になる「実績」だろう。
英語の「話す・聞く」ができないのは,「読み・書き」を十分に指導せずに,「話す・聞く」を重視する失敗を犯しているからではないか,という説得力の高い主張をしている人がいる。
発音が異なれば,相手に伝わらない,という「緻密主義」の英語教育家たちには,ぜひ「伝える意思」「聞く努力」の大切さをバラエティ番組から学んでほしい。
人間は,書かれたものを読んで理解できることを話し,正確な相手の意図をつかむために,話し方を「見る」ことも通して聞いて理解する生き物である。
所謂「座学」「受け身の姿勢の授業」として「一斉授業」が批判されることがあるが,実はこの「一斉授業」こそ,「主体性を発揮できる重要な時間である」ことを認識し,行動している生徒が,どんどん優秀になっていくことに多くの教師は気づけないままである。
もちろん,大学のセンセイが大きな講義室でやるような,下手くそな「一斉授業」ではダメである。
センセイの話を「聞く」。
板書を「写す」。
その2つしかない授業なら,「本を読んで時間を過ごす方がまし」である。
「一斉授業」では,「考える意味や価値があるどのような発問がなされるか」が鍵となる。
その発問に答えるために必要な「教材」として教科書が主に使われるのだろうが,教科書は「答え」そのものが書かれてしまっている場合もあり,そういうときは「プリント」にして配布したり,映像をモニターなどに映す必要がある。
「一斉授業」で生徒に伝えたいのは教師の「意図」である。
わざわざ黒板に書かないとわからないような「意図」ではなく,聞いて理解してもらえるような「意図」はいくらでもある。それが伝わる「一斉授業」は,いくらでもアクティブなものになる。
むしろ,「話し合い」をしているときの方が,アクティブにならない,という事例を突きつけないと,わからない人がいるかもしれないが,授業で失敗することが可能な教師には通じる話だろう。
« 中1ギャップを考える前提としての小中ギャップ | トップページ | 『学び合い』とESBZ( the Evangelische Schule Berlin Zentrum )の違い »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
この記事へのコメントは終了しました。
« 中1ギャップを考える前提としての小中ギャップ | トップページ | 『学び合い』とESBZ( the Evangelische Schule Berlin Zentrum )の違い »
コメント