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「朝の会」と「帰りの会」

 「朝の会」や「帰りの会」の時間を教育課程上にしっかりと位置付けている学校はどのくらいあるでしょうか。

 「朝の会」での話を大切にして,実質的に道徳の時間にしている教員も少なくないでしょう。小学校感覚だと,「担任がそれぞれ好きなことを話せばよい」となるかもしれませんが,私のような中学校教員は少し違います。

 中学校教員は小学校教員よりも,「学年」や「学校」を動かす組織の一員としての自覚を強くもっている必要があり,それは同時に生徒たちにも求められている心構えとなります。

 私の現在の勤務校には,「朝の会」で教員が子どもに語りかける時間はありません。

 その代わりに日直などの生徒が連絡や前日の「帰りの会」で発表された反省点などを踏まえた注意事項を話します。「帰りの会」は20分以上かけて行い,議長を中心とした議論を行う日もあります。つまり,「特別活動」としての位置付けを学校としてとっているということになります。と同時に,「生徒が主体的に考える道徳の時間」にもなっています。

 中学校教育における「学級指導」がどうあるべきかを考えるときに,「朝の会」や「帰りの会」の道徳や特別活動の実践の場として(特に大事なのは「子どもたちの実践の場」として)の位置付けを考えておくべきでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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