ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「かばう相手」は選手ではなかった | トップページ | 「勲章」としてのブーイング »

信頼崩壊後の「経営」手法とは

 まだ5月だが,21日に行われた東京私立中学合同相談会は,大盛況だった。

 「受験」戦争はすでに始まっているのである。

 ということは,完全に社会を敵に回してしまった大学及びその附属の学校は,相当厳しい「人離れ」「減収」を織り込んでおかなければならなくなるだろう。

 大きな事件がない時期の報道は,とにかく「集中豪雨」「集中砲火」型になる。

 アメフトのニュースがなければ,財務省叩きがもっと苛烈なものになったはずだから,霞ヶ関も少し救われている。

 犯罪者や「初動の危機管理対応」を誤った組織へのバッシングは,こういう媒体があるから「下水溝」のように情報が流れ込んでくる(このブログも同じである)。

 中には,「問題を繰り返さずにすむ方法を学ぶ」きっかけにしている人がいるかもしれない。

 「危機管理学」では,ケーススタディの教材になるかもしれない。

 学生の「成功」と大学の「失敗」を分けたものは何だったのか。

 それなりの専門家の方々が,多くのコメントを寄せてくれているのでわかりやすい。

 課題は,「総スカン」をくらった方が,どうやって「立ち直る」ことができるか,ということである。

 しかし,さすが「世間の常識から最も遠い宇宙」で過ごす大学という教育機関である。

 質問に逆ギレしてしまうような人材しかいない,大学の「事務方」の悲惨さは,実は全教育機関を覆う問題かもしれないのである。

 「対岸の火事」ではない。

 「時間」こそが特効薬,なんて言っていられる時代でもない。

 同じような選手への教育をしてきたスポーツ界でも,

 「あそこまでのことは起こりえなかった」はずだった。

 しかし,「起こってしまった」。

 こういう大問題は,いつどこで起こってもおかしくはない。

 これから選べる人にとっては「選ばない」という選択肢がとれるが,

 在校生たち,卒業生たちにとって縁を切ることは難しい。

 今こそ,出身者や在学生,教員たちによる「信頼回復」のための情報発信が必要である。

 「行動に気をつけろ」なんていう「指示」を出すような大学の事務方は無視してよい。

 「お前が気をつけろよ」と逆ギレしてよいのである。

 「経営の目線で」なんて悠長なことを言っている場合ではない。

 自分の身は自分で守られなければならなくなったのである。
 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 「かばう相手」は選手ではなかった | トップページ | 「勲章」としてのブーイング »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 信頼崩壊後の「経営」手法とは:

« 「かばう相手」は選手ではなかった | トップページ | 「勲章」としてのブーイング »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より