信頼崩壊後の「経営」手法とは
まだ5月だが,21日に行われた東京私立中学合同相談会は,大盛況だった。
「受験」戦争はすでに始まっているのである。
ということは,完全に社会を敵に回してしまった大学及びその附属の学校は,相当厳しい「人離れ」「減収」を織り込んでおかなければならなくなるだろう。
大きな事件がない時期の報道は,とにかく「集中豪雨」「集中砲火」型になる。
アメフトのニュースがなければ,財務省叩きがもっと苛烈なものになったはずだから,霞ヶ関も少し救われている。
犯罪者や「初動の危機管理対応」を誤った組織へのバッシングは,こういう媒体があるから「下水溝」のように情報が流れ込んでくる(このブログも同じである)。
中には,「問題を繰り返さずにすむ方法を学ぶ」きっかけにしている人がいるかもしれない。
「危機管理学」では,ケーススタディの教材になるかもしれない。
学生の「成功」と大学の「失敗」を分けたものは何だったのか。
それなりの専門家の方々が,多くのコメントを寄せてくれているのでわかりやすい。
課題は,「総スカン」をくらった方が,どうやって「立ち直る」ことができるか,ということである。
しかし,さすが「世間の常識から最も遠い宇宙」で過ごす大学という教育機関である。
質問に逆ギレしてしまうような人材しかいない,大学の「事務方」の悲惨さは,実は全教育機関を覆う問題かもしれないのである。
「対岸の火事」ではない。
「時間」こそが特効薬,なんて言っていられる時代でもない。
同じような選手への教育をしてきたスポーツ界でも,
「あそこまでのことは起こりえなかった」はずだった。
しかし,「起こってしまった」。
こういう大問題は,いつどこで起こってもおかしくはない。
これから選べる人にとっては「選ばない」という選択肢がとれるが,
在校生たち,卒業生たちにとって縁を切ることは難しい。
今こそ,出身者や在学生,教員たちによる「信頼回復」のための情報発信が必要である。
「行動に気をつけろ」なんていう「指示」を出すような大学の事務方は無視してよい。
「お前が気をつけろよ」と逆ギレしてよいのである。
「経営の目線で」なんて悠長なことを言っている場合ではない。
自分の身は自分で守られなければならなくなったのである。
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