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「勤務条件の改善」圧力が教育委員会から加わってくる

 日本の「忖度文化」は,たとえば教育現場の場合,校長や副校長,教頭のように教育委員会とよく顔をつきあわせている人たちなら,いつの間にか体得してしまうものだろう。

 情けないことに,私がお世話になっていた自治体で,小学校の管理職が国の学力調査の実施中,児童に答えを教えていたことが問題になった。教育長は,「功を焦っていた」らしい。それを忖度した管理職が,「御法度」に手を染めたわけである。教育界全体の信頼を損ねる極悪の所業だった。「テストによる選抜」文化がない小学校ならではの「愛情プレー」とかばえなくもないが,「信用失墜行為」に該当する非道だと考えられる。

 今,文部科学省初等中等教育局では,学校における「働き方改革」を局の最重要課題と位置づけて,一丸となって取り組んでいるそうだ。

 次の忖度対象はこれである。「早く帰宅しましょう」の連呼が始まる。

 民間では「時短ハラスメント」が問題になっているらしいが。

 教員が帰ると,今までいなかった人が「スクールサポーター」とかで学校に顔を出し始める。

 職員室に入れるのも何だから,いつの間にか,校長室がなくなり,関係者の控え室になる。

 局長は,「働き方改革」のゴールは,教育の質の向上であると言っている。

 私なら,週20時間の授業のうち,非常勤講師を獲得して8時間を肩代わりしてもらうことよりも,自分で20時間授業をすることを選ぶ。

 採用試験に合格できないでいる人の授業を増やすことで,教育の質が向上すると考えるなら,そもそも常勤の教師などいらない。みんなパートで時間になったらサヨナラでよい。

 しかし,「例外」を認めると,たとえば中学校のかなりの教師は「例外」であることを選ぶだろう。

 副校長・教頭の仕事が,事務職員にも割り振られる。今,ぶーぶー文句を言っている事務室の様子が手に取るようにわかる。先日も,「よくわからないことをやって間違えたらごめんなさい」という趣旨の謝罪を予めうかがった。でも報告の数字が多少違っていても,だれも気がつかない。お金以外の情報を事務職員が扱うには,せめて生徒の顔と名前が一致できるような仕組みがほしいところである。

 「マネジメント力を」という言葉は,私が指導主事だった16年前も全盛期だった。「経営」よりもいい仕事をしているように聞こえるが,「見える化」できない「経営」だったから問題なのである。管理職は毎日職務報告書をHPにUPすればよい。教育委員会のサーバーに直接提出させるのもよいだろう。教育委員会は,書き込み時間を5分間に制限して,時間切れだったら次の日の朝来て書く,という形にすれば,取りあえず帰宅時間だけは早くできる。

 いずれにせよ,「教育の質の向上」の調査はない。数字で示せる「勤務条件の改善状況」を厳しく非難される副校長の痛々しい姿を想像すると,何ともやりきれない思いである。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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