私が信用しない教師のタイプ
新学習指導要領に関する本を読んでいると,こんな文章に出くわすことがある。
>新学習指導要領では,講義中心から子どもが主体的に学ぶアクティブ・ラーニング型授業への転換が肝になる。
書き手は,平成元年版,10年版,20年版の学習指導要領を読んだことがない,という人ではないはずであるが,それらのもとでの実践が「講義中心」だったということだ。
こういうことを書く教師は信用できないし,子どももからも信用されていない事実の根拠にもなる。
そもそも義務教育で,「講義中心」で授業をして,それが成り立つような環境があるはずもない。
居眠りや遊びをしながら聞き流せる大教室での授業をしている大学のセンセイと,義務教育の現場の教員では環境が全く異なる。
少なくとも授業者と子どもとの間でのやりとりがほとんどない「授業」を意味する「講義中心」では,何が成立しないか,本の原稿を頼まれるくらいだから,わかっているはずである。
確かに,今回の新学習指導要領では,「内容」だけではなくそれを身に付けるための「限定的」な「方法」も示されている。しかし,総則等で従来示されてきた「留意点」もたくさんある。
ではなぜ「~中心から~へ」という「話法」が使われるのか。発想の源は何か。
単純な話である。「商業主義」だ。本を売るための「宣伝文句」である。
英語教育や道徳教育が「商業主義」にまみれているせいで,「公教育」が穢れに満たされてしまっている。
« 「勤務条件の改善」圧力が教育委員会から加わってくる | トップページ | 「浮世の憂さのはらし場所」としての教育改革 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「道徳」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 五輪ボランティアの数字を見て(2018.12.27)
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- チコちゃんに叱られる~おやじギャグが言える年齢になると,ホンネも漏れやすい(2018.11.11)
- 道徳教育が成立するための条件とは(2018.10.31)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「勤務条件の改善」圧力が教育委員会から加わってくる | トップページ | 「浮世の憂さのはらし場所」としての教育改革 »
コメント