コミュニケーション能力の乏しい人たちが考えるコミュニケーション能力向上策
「ウソをついていることがばれないように振る舞う」というコミュニケーション能力を求められている人たちは,本当に気の毒である。
隠蔽,捏造,虚偽,改竄と,自ら進んで,または上司からの命令でさせられる人たちは,人と人とのコミュニケーションをどう捉えているのだろうか。
こういう人たちが提唱する「コミュニケーション能力の向上」とは,何を指しているか。
これを子どもたちに身に付けさせよう,と真面目に思っているとしたら,本当に空恐ろしい。
>かねてコミュニケーション研究においては,言葉で伝わる「言語的メッセージ」よりも,眼差しや表情,仕草や姿勢,雰囲気や空気を通じて伝わる「非言語的メッセージ」の方が,何倍も大きな比重を占めることが明らかにされている。しかし,残念ながら,最近のビジネスパーソンの多くは,「言葉をいかに使うか」「資料をどう工夫するか」という次元でのコミュニケーションしか考えない傾向がある。
だが,そうしたことは,コミュニケーションの技法という意味では,初歩的な段階にすぎない。(田坂広志著『深く考える力』より)
教員である私は,「非言語的メッセージ」のことを「オーラ」と表現して,新入部員が入ってきたときに,「一番すごいオーラをもった先輩についていけ」というメッセージを(上級生がいる前で)伝えている。
「何を言ってくるか」ではなく,「どんな姿を見せてくれるか」が大事である,というメッセージである。
それは教員自身にとっても問われてくる。
私は3年間の行政経験があるが,そこで体験した忘れられないことの一つが,「脳の一部が壊死していく感覚」であった。
子どもたちの「言葉」はもちろん,「オーラ」や「行動」から様々なことを読み取りながら生活をしていたのが,「オーラ」を押し殺す人たちの集団に入ってしまったために,感覚を研ぎ澄ます必要がなくなってしまったからである。
「答申」「通知」「通達」「命令」などによって行動する原理をもった世界における「コミュニケーション能力」は,せいぜい正確な「ホウレンソウ」くらいしかない・・・とまで言い切ると言い過ぎだが。
「忖度」という非言語能力の機能だけを体得した人たちが,退職後に生かす場がなくなるのは寂しそうだ。
「相手の質問をいかにはぐらかすか」「いかに答えずに済ますか」という場面だけが報道でクローズアップされている人たちは,とても気の毒な気がするが,「それが仕事だ」という印象から,「官僚は国家や国民の未来を守る気概で動いているんだ」という理念は絶対に見えてこない。
各省庁から,どんどん情報が外に出てきている。これを「官僚の反乱」などと表現する人もいるが,「自壊する国家のパターン」を示すことよりも,「政治家ではなく国民を守る官僚の力」の事例になるように頑張ってほしい。
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