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道徳教育のQ&Aに見る初期症状と末期症状

 中学校では特別の教科・道徳の教科書採択の年になったから,「教科書」や「道徳授業」への関心が高まっている。

 教科書会社などは,小冊子で道徳教育に関するQ&Aなどをまとめるなどして(執筆は大学のセンセイか現場の教員),現場の教師の要望に応えようとしている。

 しかし,その内容を読む限り,「そもそもどうして道徳教育をしなければならないのか」という「理念」というか「教育哲学」に基づいていないため,道徳に限ったわけではない授業の「型」の供給に終始している。「指導案作成至上主義」という誤った授業観が導く,「失敗が約束された努力」である。このような状況では,おそらく道徳はおろか,普通の教科の経営までもが危うい気がする。

 中学校1年生に小学校での「道徳」の授業の思い出や感想を聞くと,

 「先生の長い話を聞かされる授業」

 「DVDばっかり見ていた」

 「ドッジボールをしていた」

 といった答えが毎年返ってくる。

 特別の教科になって,何が変わるのか。

 ただでもらえる教科書ができたことだけか。

 『心のノート』や『私たちの道徳』では何が足りなかったのか。

 「ドッジボール」で遊ばせた方が,よほど道徳性が身に付く,という教師の主張は完全否定されるのか。

 Q&Aからは,「道徳教育の崩壊」のシナリオが見える。教科の授業がまともにできない教師に向けての「型」の解説に終始するという初期症状から,教育の息の根を止める威力のある「道徳性の評価」という末期症状まで。

 「開かれた教育課程」に道徳教育がどのように位置付いていくか。

 地域に開かれていても,子どもたちには閉じてしまっているようでは,だれのためにカリキュラムがあるのかわからなくなる。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より