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「一呼吸おく」ことの大切さ

 まだ仏教関係の本以外で,「アンガ-マネジメント」に関するものを読んだことはないが,教育書を読んだり読み返したりすると,特に生活指導に関する話題があれば,「アンガ-マネジメント」の手法に自然とふれられていることに気づく。

 読書編で紹介した『問い続ける教師』(学事出版)では,苫野一徳さんがモンテッソーリのエピソードを紹介した後で,次のように述べている。

>さまざまなトラブルが起こった時,私たちは条件反射的に叱り飛ばしたり矯正したりするのではなく,まずは一呼吸おいて,これをチャンスととらえる練習をしてみたいものだと思います。

 中学校の生活指導では,「瞬発力」が求められるため,「間髪おかず」が大事な場面も多いのだが,状況判断を誤ると,無関係の生徒を叱ってしまう可能性がある(・・・私もかつて,中学校時代に人違いで殴られた経験をもつ一人である)。こういう注意とは別に,子どもたちの成長を願う教育,自立を促す教育,主体性を育てる教育,という視点で考えると,「今この場のこの行動には,この生徒にとってどのような意味があるのか」を考える「瞬間」が必要なのである。

 「一呼吸」という「長い時間」があれば,いろいろなことが頭の中で回転する余裕がある。
 
 「我を忘れる」ような事態になったときに,「一呼吸」の間で何ができるようになるかを考えていくことには,とても意味がありそうだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より