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« 道徳の「評価」の原則自体が「ただの建前」「綺麗事」に過ぎない | トップページ | 教員の「働き方改革」騒ぎでモチベーションを下げる罪 »

言いたいことが言える教育を

 教員は,「おじいさんやおばあさんを敬う気持ちを育てる」という目標を持たされて,

 介護が必要な身内(家族)ではなく,高齢者一般を対象に道徳心を養わなければならない。

 ネットニュースで,小学校5年生の児童が,泣いている赤ん坊(その親?)を目の敵にする高齢者に残念な気持ちを抱いて新聞に投書し,それが取り上げられたことが紹介されていた。

 本当に小学生が投書したかどうかはともかく,

 「わがままな高齢者をどうするか」

 というのは,社会全体の許容力,包容力を高めるだけではすまない状況にあると思われる。

 寛容な心を欠いた高齢者に悩まされている人は少なくない。

 実際に,家庭でも同じような問題を抱えている児童はいるだろう。

 だから一方的に「おじいさんを敬う気持ち」を扱おうとすると,反発心しか子どもには芽生えない。

 和菓子屋さんだろうがパン屋さんだろうが,高齢者を働かせて当然と思っている人間のことはさておき,

 核家族の子どもたちにとって最も身近ではない血縁に抱く感情というのは,大家族時代のそれとは別物だろう。

 「特別な教科」になってしまった道徳が,キレる高齢者だけでなく,キレる児童たちを増やすのは目に見えている。

 「いじめ」の認定レベルは県によって完全にまちまちであり,その数が多いとか少ないとかいうことに全く統計的な価値はないのだが,「校内暴力」にしろ「いじめ」にしろ,覆い隠せないレベルの問題が今後どんどん増えていく。

 それを防ぐ方法は,もはや学校で学ぶのをやめるしかない,という結論にやがて行き着くだろう。

 「教科のように学ぶ」ことがいかにふさわしくないかということが,わからない人たちは,どういう育ち方をしたのか,聞いてみたい。

 「今日,とても情けない高齢者(先生でも,政治家でも,官僚でも,何でもよい)を見て,がっかりした」ということが新聞に対してでなく,学校で話題にできる方がよほど正常な世の中である。

 「昨日,校長先生が酔っ払って,ふらふらしながら歩いていた。部活動の指導にきたが,とてもお酒くさかった」

 こういう訴えを教員が聞いたときに,取るべき行動は何だろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より