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量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?

 量の多い少ないに限らず,質がよければよいに越したことはないのですが,実際には高い質を常に求めるのは難しい。だから成果を出そうとすると,みんな「量」に頼ろうとします。中学校で言えば,たとえば部活動の「時間」です。

 「~の時間」と呼んでいるくらいですから。野球部など,強いチームになると,休日の活動は朝9時に始まって午後4時まで行うなどというのは普通にあり得ます。高い「質」の練習をしていても,強くなろうとすれば,「量」も増えていきます。

 学校のカリキュラム一般も,「質」より「量」を優先しているのですが,

 当たり前の話,「量」を確保しても「質」がよくなければ,単なる「時間の浪費」になってしまいます。

 ただ,教育課程の実施状況の調査で,「浪費した時間」の集計は行っていません。

 「質」の評価は簡単ではないので,基準をつくるのも一苦労ですから。

 「時間をどうやったら生み出せるか」という「考えても無駄」であることが多い思考を学校では強いられます。

 本当は,「質をどうやって高めるか」を考えさせた方が,よい結果が望めるのですが,

 「働き方改革」では,こういう創造的なことを考える時間すら削られていきます。

 学習指導要領は,「標準時数」というのを定めてありますが,実はこれが「諸悪の根源」です。

 今や,大学の授業までもが「決められた時数を下回らないことが重要」となり,祝日に授業が入ったりもしています。

 「時間を費やしたのだから,教育はしたことにできる」と考えるのは,学校現場的な感覚ではアウトですが,事務の発想としてはアリです。

 学校現場は,効果が出せなかったときに,「標準の時間には足りませんでした」というと,「そのせいですね」で言われて,完全にアウトです。

 だから「時間だけは守る」ことにあくせくして,結局成果が上がらずに疲弊しているのが学校現場です。

 量(時間)の話だけは,全国共通で同じ尺度で測れるのですが,授業参観で唖然とするような実践が行われている場面に出くわすと,その「意味のなさ」を実感できます。

 いつの日か,教育の「質」が語れる学校が出現してもらいたいものです。

 実際には存在するのですが,授業時数を堂々と公開することができないので,「知っている人だけが知っている」まま終わるか,こういう学校ですら,「標準時数」を確保することを強いられ,教育が破壊されていくのだと予想しています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より