「暗記型か思考型か」などという幼稚な比較をしているうちは,まともな教育はできない
暗記だけ,思考だけという教育はあり得ません。
暗記はなし,思考はする,という教育も不可能です。
暗記ばかりで思考の場面がない,という批判があっての教育改革なのでしょうが,「させられる思考」「型にはまった思考」では意味がないので,「思考」の質も大いに問われる必要があります。
歴史教育では,過去の出来事を主な題材としているために,だれでも「流れ」をつかむことができます。
「流れ」のつかみ型は多種多様で,人物の決断に焦点をあてた場合,対外関係に焦点を絞った場合,経済活動との関連を重視した場合など,切り取り型によって多くのストーリーが語れるわけです。
単純に「暗記」していたことが生かされる場合もあるし,死んだまま眠る場合もありますが,「暗記」したことがストーリーだった場合,後で別のストーリーとの類似性や相違点が見つかると,そこで「生きた知識」として活用されることになる。
知識も何もない場所では,「思考」に生かせるものは何もないわけです。
新しい学習指導要領風に言えば,「見方・考え方」を働かせるための「場」が必要で,それは「教科書の内容」でもいいし,教師が提示する資料でも,あるいは子どもが主体的に探してくるものでもかまわない。
暗記型だけの学習をしたとしても,どこかでそれを活用する方法を知ることで,「思考」のための材料に変えることができますから,新しい入試では,「暗記したことを,自分なりの指標で整理し直す力」を測定する,という制度設計をすることが考えられます。
学校でもし「自分なりの指標で整理する」時間をとってしまうと,インプットできる情報が減りますから,できあがりの質も落ちるでしょう。
ですから学校教育には「多くを求めない」ことが,最終的には成功に結びつくのかもしれません。
塾産業は,「量で勝つ」という「成功方程式」で合格を約束することで経営が成り立っています。
総合的な学習の時間が趣旨通りに実施されていない学校で,「見方・考え方」を働かせる学習を保障するのは不可能でしょう。
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