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また官僚が嘘をついたのか

 私も行政に3年間身を置いていたので,事務方がどういう動き方をするのかはよくわかっている。

 議員からの要請があると,そのとき取り組んでいた仕事をすべて放置してでも,すぐに要請に応えようとするのが事務方なのである。

 前川氏がどこでどんなことを話しているかを,事務方が自主的に調べようとすることなど,まずあり得ない。

 そもそも前川氏がこの期に及んで自らが違法行為を働くこともない(事務方トップだった人をそこまで疑う神経もおかしいだろう)。

 授業の内容を文科省が知ろうとする理由は,少なくともそれを伝えなければならない相手がいるからである。

 命令があるから動けるのが事務方なのである。

 毎日新聞の報道によれば,前川氏の授業内容については,文科省に対して,国会議員からの問い合わせがあったということである。時系列に沿って,その後,文科省から名古屋市教委に照会がなされている。

 しかも,照会のメールに使われた文章は,だれかに質問されたそのままの内容をコピペして使ったと思われる「事務方らしくないもの」であった。これも,行政にいたことがある人なら,だれでもわかることである。

 議員の指示に従って,名古屋に問い合わせた,というのが真実なのだろう。

 事務方への議員からの照会メールが公開されれば,事務方は「本当はだれが悪い」と開き直ることができる。

 政治の透明化とは,議員が役所に何をどのように利用しているかが国民にわかる仕組みを作ることであり,メールのやりとりも含めてすべてオープンにすることを希望する。

 文科省は「あくまでも私たちの判断で行った」「照会があった議員の名は言えない」としているようだが,省内からは「執拗な要請で対応に苦慮していた」という声が漏れてしまっているわけで,政権政党から事務方が引っかき回されている構図が見え見えになってしまったのである。

 「官僚の嘘のつき方」というマニュアルが,霞が関の人たちだけのものではなく,国民全体に知れ渡ってしまった。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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