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子どもの人間関係に対する不感症の影響力

 言語ではなく目線や表情,しぐさだけで相手にシグナルを送るコミュニケーションが発達している日本では,「言語化されたもの」の分析だけでは何も分かったことにはならない。頭の中で考えてはいたが,口に出していないことが山ほどあるのが人間の思考というものである。

 「指示があったか」と言われて,証拠に残る「文字による指示」や「言語による指示」を想定するかもしれないが,じっと見つめられただけで,相手の意図を察することができることを「信頼関係」という。

 実質的には指示されていても,「指示はなかった」と言えてしまうのが日本におけるコミュニケーションなのである。

 だから,「いじめ」の特定・認定も非常に難しい。証拠は何も出てこなかったりする。

 むしろ,「いじめられた」と主張している側の「被害妄想」だと思われてしまう。

 担任教師には,非常に高度な感覚が要求されている。

 「空気を読む」「目を読む」技量が重要である。

 それが,当たっている場合も,当たっていない場合もあるだろう。

 「いじめ」を防ぐためには,当たっていないのではないか,と思われる事例でも,当たっているという前提で動く必要がある。

 「推定無罪」ではなく,「推定有罪」である。

 大事なのは,「いじめている」側に,悪い思いをさせないように留意すべきことを伝え,

 言いたいことがあれば言葉で表現させることである。

 日本では「無言の圧力」ほど恐ろしいものはない。

 教師が「いじめ」を疑っている雰囲気を出すだけで効果がある「初歩的」な場合もあるが,

 「いじめ」はない前提で話を進めているかのように思わせる技量も必要である。

 何も話していなくても,とても神経を使うのが教職という仕事である。

 「鈍感の極み」と子どもに思わせることができる教師が最強なのだが,

 もし本物の「鈍感」「不感症」だったりすると,すべての人に悲劇が訪れる。

 全く神経質には見えないのに,神経を研ぎ澄ます状態が維持できる・・・

 武道を必修にするのは,子どもよりもむしろ教師が取り組んだ方が効果があるかもしれない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より