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企業や学校のブラック化を防ぐ意味で,「皆勤賞」の廃止は有効的か?

 私はかつて高校球児で,土日の練習試合などにも休んだことはなかった。

 月月火水木金金の生活を送っていたわけである。

 高校の学校生活でも皆勤賞をとったことが,もしかしたら現在のブラック生活に結びついているのかもしれない。

 15年前に指導主事として教育委員会に勤務していたとき,学校から出欠席のことで質問があったので経験年数の長い方に問い合わせたところ,「まだ皆勤賞を出している学校があるのか」と言われたことがあったが,「何をどこまで出席扱いとするかでもめる」原因の一つが,「皆勤賞狙い」であることはよく知られている。

 また,体調が悪いのを我慢して登校してしまった生徒が,実はインフルエンザにかかってしまっていて,感染拡大の原因になる場合もある。


 欠席の日数が少なければ少ないほど,勤勉で体が丈夫な生徒であることが想像できる。

 遅刻もなければ,規則正しい生活ができる,信頼できる生徒だと解釈される。

 その究極のかたち,完全無欠のゴールが「皆勤賞」である。


 この「皆勤賞」というのを完全に廃止させることを文科省が指導すれば,日本人の「ブラック体質」は払拭できるだろうか。

 私はそうは思わない。なぜなら,そういう「ブラック体質」というDNAは,学校が育むのではなく,社会全体がもっている「伝統」だからである。

 面積はそこそこ広いものの平地が少なく,資源も少なく,海に囲まれている日本が社会を成長させたり維持させたりするためにとった戦略が,「長時間働くこと」だったから。

 土地(資本)や資源を海外に求め,植民地を拡大していった国々の成長戦略を真似しようとしたときにも,伝統的な「長時間働く」方法で成果をあげていったが,戦争に負けたことで,「働く時間を短くする」生き方を選択できなくなった。

 「働く時間を短くする」には能力を向上させるしかないのだが,能力が高くなった人にはどんどん仕事が舞い込んできて,働く時間はさらに長く,しかし,成果も大きくなって成長していく,というのが日本型の資本主義の仕組みになった。

 労働時間の短縮を実現するためには,富士山のように裾野の広い能力向上を推し進めるか,目の前の手にすることができる利益を放棄して,働くのをやめるしかないのだろうか。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より