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労働時間の短縮より通勤時間の短縮を

 私は教員になったときから,「働く時間」よりも「通勤の時間」にこだわっていた。

 自営業を営む家庭で育ち,中学受験をさせられてひどいラッシュで通学しなければならない経験を6年間重ねたからか,

 「なぜ家から遠いところに勤めなければならないのか」という疑問を持っていた。

 自営業を継げば,通勤時間など1秒たりとも要しない。

 通勤時間など,人生の時間の浪費だと思っていた。

 大学は自宅から最も近いところを選び,アルバイトも自宅から自転車で15分以内で行ける範囲にある塾を選んだ。

 教員に採用されたとき,自宅から自転車で8分の中学校への赴任が決まったときは,とても嬉しかった。

 6年間勤めて,異動の希望は同じ自治体を選んだところ,入る希望がほとんどなく,出たい人ばかりだったからか,また5年間,今度は自転車で12分で通える中学校に着任した。

 この2校目の学校はとても荒れており,さらにこの中学校の場合は,教員は勤務時間が終わるとさっさといなくなっていった。部活動もさかんでなく,職員室を最後に出るのが非常勤講師の先生だったこともあるらしい。

 2校目の中学校が荒れていたのは,要するに子どもがエネルギーを発散する時間に飢えていたからで,授業で(教科だけでなく,道徳や特別活動でも)そのエネルギーが出せるように工夫していったところ,すぐに一定レベルの学力がつくようになり,子どもが生き生きし始めて,学校に楽しそうに通っていく姿を見た保護者の信頼を得て,他の地域から生徒が集まるような中学校に変貌していった。

 この中学校にいたことで困ったのは,区や都だけでなく,国の仕事も頼まれるようになり,学校で指導案づくりや報告書などを仕上げる時間が取られるようになったことで,自宅に帰れば塾のテキストや市販本の原稿を書いたりするアルバイトも増えており,寝る時間がほとんどなくなってしまったことである。

 しかし,たくさんの仕事を兼ねることができたのも,ひとえに通勤で余計な時間と体力を使わずにすんだおかげであった。

 さすがに学校以外の仕事が増えすぎて,出張が多くなってしまったときに,校長から教育管理職候補を選ぶ試験を受けるように言われ,「学校にこれ以上の迷惑をかける前に,指導主事になってしまおう」と思い,受験したら合格してしまった。

 赴任先は島だったが,驚いたことに,宿舎から歩いて何分もかからないところに役所があり,人生で最も短い通勤時間の生活を送ることができた・・・と思ったら,1週間に2回の出張が入ることがざらになり,片道2時間以上かかり,ほとんどの場合に宿泊を伴う生活になった。

 移動時間が長いと,ゆっくり本が読めることは魅力的だったが,1ヶ月に20万円近く出張費を立て替える生活を送りながら,やはり,「このお金は無駄ではないか」と思い始めた。

 私の自宅の前の公園の向こうに中学校がある。

 ここに勤めるのが今の夢であるが・・・。

 通勤費も税金で負担されている。もちろんご近所様の子どもの先生になりたくはない,という人もいるだろうが,電車で1~2駅過ぎれば全く別の地域になるはずである。できるだけ通勤費にかかる税金を節約してもらえないものだろうか。時間もお金も節約できる方法をぜひとも採用してほしい。

 もちろん,在宅での勤務が認められる流れも,今後拡大していくだろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より