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東大現役合格者の情報から納得できたこと

 高校の卒業間近になって,中学校のときの教え子が会いに来てくれた。

 「節目節目できちんと挨拶に来ます」という律儀な青年は,東大に合格したという。

 十数名いるらしい中学校の同級生の東大合格者名を聞いて,今年はなるほど,と思った。

 考える基本がきちんとできているタイプのメンバーである。

 塾でちょちょっとやっていい成績をとる,というタイプの卒業生は落ちていた。

 表面的な知識だけでも,早慶なら合格できるが,東大はそうはいかない。

 東大の問題は,よく練られており,基本がわかっていればできる,という証明を卒業生たちがしてくれたことをうれしく思う。

 よく聞くと,早慶でも,落とすためのヘンな問題は少なくなり,東大に寄せてこようとしているらしい。

 万々歳である。教科書を隅から隅までなめ回すような下らない高校の授業を防止できる。

 最近の家は壁で重さを支えるタイプもあるようだが,せめて「壁」ができるような授業を受けている生徒たちに東大に受かってほしい。柱が立てられる方がよいのは言うまでもない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より