入試問題のミスを探す専門家
入試というのは,受験者はもちろんだが,選抜する側にとっても大きな負担となる。
受験者は,できる問題を絶対に落としてはならない。
選抜する側は,絶対に出題ミスを犯してはならない。
最近のニュースではっとさせられたのは,京都大学の出題ミスである。
大阪大学ではたいして驚かなかったと言えば,失礼になるかもしれないが,
やはり京都大学のミスにはインパクトがある。
近畿地方のある私立中学校では,受験生でもわかるミスをやらかしていたのだが,
出題者の質が教育の質と深い相関関係にあるとしたら,学校選びの基準としても使えるかもしれない。
大学の出題ミスに最初に気づくのは,予備校の教師の可能性が高いだろう。
逆に言うと,ミスに気づけない予備校の教師には,少々ガッカリさせられる。
入試問題の出題者側のチェックはしっかりと行われているはずだが,
それでもミスは発生する。
入学選抜の世界は,「働き方改革」とは一切無縁である。
長期間の作業での緊張,秘密厳守のプレッシャーに耐え続けなければならない。
そういう経験をしなくてすむ高校や中学校の教師たちも,大学入試問題を解いてみたらどうだろう。
教え子たちより学力が低いというのはまずい。
自分が教えた子どもが受験するテスト問題には,やはりできるだけ目を通すべきだろう。
現場教師たちによる,出題ミスを探すための専門家集団というのができてほしいくらいである。
********************
この記事を書いて公開する前に,体調を崩してしまった。
その後,文科省内に入試ミス対応窓口が設置されたことを知った。
だれがどのような「対応」をするのか知らないが,ここまでのことをしなければならない中央官庁というのも,実に惨めなものである。
« 教育の「効率」は何で測定する? | トップページ | 心なく才知ある者が,心あるも才知なき者を置き去りにする授業~考える道徳の末路 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
« 教育の「効率」は何で測定する? | トップページ | 心なく才知ある者が,心あるも才知なき者を置き去りにする授業~考える道徳の末路 »
コメント