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入試問題のミスを探す専門家

 入試というのは,受験者はもちろんだが,選抜する側にとっても大きな負担となる。

 受験者は,できる問題を絶対に落としてはならない。

 選抜する側は,絶対に出題ミスを犯してはならない。

 最近のニュースではっとさせられたのは,京都大学の出題ミスである。

 大阪大学ではたいして驚かなかったと言えば,失礼になるかもしれないが,

 やはり京都大学のミスにはインパクトがある。

 近畿地方のある私立中学校では,受験生でもわかるミスをやらかしていたのだが,

 出題者の質が教育の質と深い相関関係にあるとしたら,学校選びの基準としても使えるかもしれない。

 大学の出題ミスに最初に気づくのは,予備校の教師の可能性が高いだろう。

 逆に言うと,ミスに気づけない予備校の教師には,少々ガッカリさせられる。

 入試問題の出題者側のチェックはしっかりと行われているはずだが,

 それでもミスは発生する。

 入学選抜の世界は,「働き方改革」とは一切無縁である。

 長期間の作業での緊張,秘密厳守のプレッシャーに耐え続けなければならない。

 そういう経験をしなくてすむ高校や中学校の教師たちも,大学入試問題を解いてみたらどうだろう。

 教え子たちより学力が低いというのはまずい。

 自分が教えた子どもが受験するテスト問題には,やはりできるだけ目を通すべきだろう。

 現場教師たちによる,出題ミスを探すための専門家集団というのができてほしいくらいである。

********************

 この記事を書いて公開する前に,体調を崩してしまった。

 その後,文科省内に入試ミス対応窓口が設置されたことを知った。

 だれがどのような「対応」をするのか知らないが,ここまでのことをしなければならない中央官庁というのも,実に惨めなものである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より