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時間が足りなくならないアクティブ・ラーニング

 子どもが教師に利用され,道具として使われる仕組みのアクティブ・ラーニングは,時間通りに「学び」が終了できるのだという。それはそうだろう。道具は道具に過ぎないし,「終わり」が見える「学び」など,塾でもできるようなものだから,「始まる前から終わっている」ようなものである。 

 自分たちが子ども時代にしたことがない学習方法を,なんとかして「現役」の子どもに押しつけようとしている大人の必死さを,どう表現したらよいのだろうか。

 実は,子どもを道具として使う教育方法は,「手本」となる生徒がいて,他の生徒がみんなこれに習う(習わされる)・・・今から60年前の教育と同じである。生徒を道具に使う「詰め込み式」教育である。

 さて,どうして,「時間におさまるアクティブ・ラーニング」などと,すべてが満たされなければ許されないような要求ばかりするのだろう。

 この病的な教育への欲求は,「失敗作」に終わった自分たちのダメさ加減に対する反省の裏返しなのではないか。

 そんな改革が成功するわけがない。戦争に負けた国が勝った国の「精神的なもの」だけを輸入して勝つつもりでいるような,バカらしい発想はやめた方がよい。

 ついでに書いておくと,教育は意思疎通が困難な相手とも粘り強く対話して,一筋の光を探し共有しようとする営みを含んでいる。面倒臭いことはやらなない,コミュニケーションは遮断する,と宣言している人間に教育を語る資格などない。高校教師によく見られるパターンである。義務教育の教師から見ると,こういうのこそ教育のガンという。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より