「お上の意向」と教育
先日は,あるテーマに関連した全国の代表者が集まる会議に出席してきました。
そこでいくつかの自治体(都道府県)の代表から,「(テーマについては)学習指導要領に示されたから~」という言葉が発せられました。
会議の主催者は,行政ではありません。
それなのに,「お上の意向に従って」という話法で発言をされる。
教育委員会という組織は,「行政委員会」としての役割を果たさなくなっていることがよくわかります。
私は分科会で,わざとらしく,「私が指導主事なら~」と「教育者としては~」という別々の言い方でテーマに迫ろうとする姿勢の重要性を話しました。
本心では同じことを考えている人が多いことを願いたいですが,私の直感では,「子どものため」という感覚が麻痺
した方々が多いことが実感できました。
子どもたちが気の毒でなりません。
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