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アルマーニを着用する小学生から見える社会とは

 島崎藤村,北村透谷,近衛文麿らが卒業した小学校での話題が,ニュースを賑わせている。

 「東京の銀座に位置する公立の小学校。一体,どんな子どもが通っているのか・・・」と思われるかもしれないが,

 通わせている保護者の中には,至って「普通の方」がいらっしゃることがわかった。

 「アルマーニの制服は高すぎる」という苦情?が寄せられているという。

 学校側(校長)としては,後は説得を続けるだけだろうが,大きく報道されたことで,

 「説明責任」を果たすべき範囲が世の中全体に広がってしまった。

 もう少し後だったら,オリンピックの報道ですべてかき消されたかもしれないのだが・・・。

 今回の8万円とか9万円といった金額が,「過度の負担」に当たるかどうかは,

 容易に判断できるものではない。アルマーニでなくても,いいモノなら,それくらいかかる私立の学校は

 あるだろうから。ただ,「過度な負担」に当たる家庭がいれば,それは困るだろうから,区から補助が出る,

 というやり方もあるだろうが・・・。

 私は,小学校でも「形から入ろうとする教育」は今時珍しい,と逆に感心してしまった。

 これも周回おくれのトップランナーの類か。

 「アルマーニが似合う小学生」とは,ちょっと大きく出すぎている感じもするが,

 これだけの「桁違い感」は,どこか本当にスケールの大きな子どもを育ててくれそうな予感もする。

 中学校で言えば,部活に入って,ユニフォームだの,ジャージだの,個人の道具などが色々と必要なところなら,10万円くらい軽く飛んでいくだろうと思われるが,こういう部活の必要が「過度な負担」として社会問題になったことはないのではないか。

 おそらく,もう少しだけ報道がしつこくなると,教員達の服装にも言及されることになるだろう。

 子どもがアルマーニで担任が1万円福袋のスーツではまずいだろう。

 ジャージもブランド品を買うことになるのだろうか。

 東京都には,荒れているわけではないが,「絶対に行きたくない区」が3つあると言われている。

 杉並区,品川区,千代田区である。中央区ももうすぐ4つめの区として聞こえてくるようになるのだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より