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「時間を守らない」という文化をつくるのはだれか?

 ある高校の体育の授業の開始状況を見ていた。

 始業のチャイムでだいたいの生徒がそろっていたが,そもそも「整列する」という習慣がない授業なのだろう・・・・だれがいるのかいないのか,一目ではわからない仕組みであった。

 教師は1分ほど遅れてやって来た。

 その教師が「時間を守らない」という習慣を獲得したのは,どの場所でだろう?

 子ども時代に通った学校がそうだったのかもしれないし,

 家庭環境に問題があるのかもしれない。

 しかし,決定的なのは,出身大学の「文化」なのだと思っている。

 「時間を守る」という「文化」をもっている大学もあり,授業の集合の仕方,挨拶の仕方,整列の仕方,動きの機敏さなど,特に指導しているわけでもなく,子どもたちはすべてに渡って優れた行動をとっている。

 社会人になれば常識となる「時間を守る」という「文化」は,一部の大学の教師には存在しない。

 そういう大学は,社会人になれなかった人の集まりだと思えてしまうほどの「至らなさ」である。

 話を戻すと,体育の教師が「時間を守らない」人間だった場合,

 学校運営にどういう支障が出てくるか。決して無視できないものになる。

 多くの教師が,時間割で,体育の授業の次に自分の授業が入ることを嫌がるようになる。

 なぜなら,子どもたちが授業に遅れるからである。

 教師の「時間を守らない」習慣は,必ず子どもたちに伝染する。

 落ち着いた学校でも,「時間を守らない」習慣の拡大によって,簡単に荒れ始まることを知っているから,体育教師がまとっている「文化」には敏感である。

 「時間を守る」人間と,「時間を守らない」人間のそれぞれがまとっているオーラがどんなものか,教育の素人でもとてもわかりやすいと思う。

 「時間を守らない」人間は,信用されない。

 そういう「文化」を育んむ大学に通っていた教師は,気の毒に思える。

 しかし,最も可哀想なのはそんな教師の教育を受けている子どもたちなのである。

 大学名を書きたいという強い衝動に駆られる。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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