官僚との「飲み会」をセッティングする大学のセンセイ
私の知り合いの官僚は,自ら「飲み会」の場所を確保してくれるような気さくな方であり,とてもではないが公言できない情報がたくさん得られる機会をつくってくれている。
身も蓋もない学校の話をたくさん書いてきたが,さすがに本家本元の情報をここで公開することは不可能である。
省庁は別だが,教育の現場にとても高い関心をもってくれている人に出会うこともある。その方はとても謙虚であり,そのおかけでお互いに非常に濃密な情報のやりとりが可能になった。
官僚との「飲み会」をすれば,誰が誰をどれくらい信用しているかが,手に取るようにわかる。
信頼しなければならない人が信用されていないことを知ることも,長い目で見れば重要なことだろう。
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