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「深い学び」をイメージできない教員が多い理由

 いちいち説明するまでもないことでしょうが,自分がやったことがないことを人に教えることは難しいことです。

 音楽や美術,技術・家庭や保健体育で「深い学び」を実現させようとする人たちが落とし穴にはまることを,

 指導主事はしっかりと予見し,その防止のために力を尽くさなければなりません。

 世の中には,自己陶酔型の「深い学び」が溢れていますが,そんなものは無視して,子どもたちが学ぶ姿の実態から,本当の「深い学び」をくみ取れる感性が教員には求められています。

 現場に苦しみを植え付ける元凶になるのが,資質・能力という誤ったものの見方・考え方を前提にしてしまうことです。違う場所に正しいと誤解してどんどんボタンをとめていく事態は,避けられないのかもしれません。

 しかし,子どもの方を見ながら授業をすれば,高校生や大学生,大人を相手にするよりはるかにわかりやすく「深い学び」の本質を理解することができます。

 自分の頭を使って物事を考えようとしない教員が増えてきているのは,だれのためでしょう。

 「深い学び」を語る資格を持つことを自覚できる教員を増やすためにすべきことは何でしょう。

 できるだけ早い時期に,今まで「正しく」行ってきたつもりの,「観点別学習状況の評価」が誤っていたことを認めないといけません。

 個別の児童生徒の「思考力・判断力・表現力」の指導・評価場面が全くないのに,別の観点の尺度を使って評価していたことを認めさせることなしに,「深い学び」の実現に向かうことは不可能なのです。

 「正しく」できていないものを,できていることにする,という悪い習慣を消さなければならないのは,もちろん教育の世界だけではありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より