目に見えるものを信じさせられない人に必要なものとは?
私はシュタイナーの人智学をよく理解している者ではないが,シュタイナーのことを信用できるのは,講演のなかで何度も
>どうぞ私の言っていることを信じないでください
と主張する姿勢を貫く人物だったからである。
私が「ナントカ道」という言い方を気に入っているのは,「ゴール」が想定されていないからである。
どこまでも「道」は続くのであって,「道半ば」であるのは,初心者も熟達者も一緒,という感覚を大切にしたい。
わかりもしない宗教の話を持ち出す素人がいる。一方ではデータですべて実証できるなどと「見える世界」の話をしておきながら,「信じない奴が悪い」などといった「カルト」みたいな態度でいるのはおかしな話である。そもそもデータを見せて信じさせるのが仕事のはずなのに,データも示されていないわずかな文字数の書籍を買わせて批判を封じようとする姿勢は,「カルト」そのものにしか見えない。
宗教は「見えない世界」との折り合いをどう付けるかが鍵になるのだが,「このままでは崩壊する」と煽るだけの「カルト集団」のボスが「神」として君臨しているかのような傲慢さやいかがわしさを全身から発していることに気づけないほど教師たちはバカではない。
「見えてしまっている世界」を見ないようにし,未来への恫喝に屈している一部の教師の目を覚まさせる方法を探さなければならない。
潜入が必要となる。
私が一番見てみたいのは,「カルト」が実践する道徳の授業である。
そこで直接伝えることが可能だと想定できる「神」の言葉はいくらでもあるが,信徒と勘違いされても失礼にあたるだろうから,哲学者の言葉くらいにしておくべきか。
『置かれた場所で咲きなさい』という本を一読しておかなければならないだろう。
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