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アメリカと日本で同時に起こっていること

 トップが露骨な差別感情をむき出しにするからと言って,その国の国民全部が品位のない人たちばかりだとは限らない。ただ,人間が抱く嫌悪の感情というのは,特定の個人から,なぜだか同じ属性をもつ多数の人間に拡大していってしまう。人種差別と縁が切れないのに不思議と圧倒的パワーをもっていたアメリカという国の瓦解へのカウントダウンが始まっている気がする。

 「寛容」という言葉が辞書にないかのように思える自国第一主義の国の「同盟国」「友好国」「属国」である日本の未来も決して明るくない。

 アメリカで起こっていることが,しばらくしてから日本でも起こり出すという現象が,政治の世界でも見られるだろうか。

 モノ真似国家と揶揄された近代のはじめだが,「モノ真似以外」の部分が非常に分厚かったことは,なかなか実感しにくい。ただのモノ真似しかなかったら,根付くことがないのが「文化」というものである。

 さて,今,アメリカと日本で同時に起こっていることとは何だろう?

 少し先のことを考える必要性に気づかせてくれる人物は,意外と優秀な政治家なのかもしれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より