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消された学校像~完コピをつくるなら,どこがモデル校に?

 時事通信社の「内外教育」とはどんなものか,管理職以外の先生方にはわからないかもしれない。

 私も,指導主事時代にしか読んだことがなかったものだった。

 たまたま,事務室の机の上にあったので,表紙のコラムを久しぶりに読んでみた。

 校種は別だが,私と同じ教科の指導主事の先輩で,文科省にも長くいらした先生の愚痴が書かれていた。

 平たく表現すれば,「学習指導要領」の質が変わったことを嘆いておられる。

 大学の先生の仕事は,文科省の主張の完コピをするだけになったから,存在意義もないことに気づかれたのだろう。

 全国学力調査の余波なのか,政権の性格が世の中全体にコピーされ始めているのか,理想の学校像というか,学校づくりの大原則,基本方針が変化してきている。

 かつては当たり前だった,学校づくりにかける大切な思いが,消されているのである。

 コラムには,私が「必ず失敗する新学習指導要領」と評価している根拠と同じような内容が書かれていた。

 主体性を求めているくせに,時間はもちろん,内容から方法まで,完全にがんじがらめにする新学習指導要領は,「お上に黙って従う=主体的な態度」という支離滅裂な精神構造を鉄筋コンクリートで固めるようなものである。

 思考停止を強いている人間に,「多面的・多角的な見方・考え方」など育てられるはずもない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より