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子どもは弱者を襲う

 学校で「いじめ」の対象になるのは,子どもだけとは限りません。

 法律上では「児童生徒」が対象でも,学校現場ではセンセイに対する「いじめ」が発生しており,そのために病気休職や退職に追い込まれたりしています。

 「いじめ」の対象になるのは,多くの場合,弱い子どもです。ごくまれにそれまでグループを仕切ってきたリーダー的な存在の子どもになる場合もありますが。

 同じように,センセイを対象にする「いじめ」も,弱い人に集中します。

 非常勤講師で実験し,それが上手くいくと,常勤講師に「格上げ」していく。

 まさか教育を専門的な職務にしている立場の人間が,「私は子どもにいじめられて困っています」とは言えないから,どうしようもない状態になるまで,同僚にも管理職にも相談できず,他のクラスや子どもに迷惑がかかった段階で,表面化します。しかし,表面化したときにはどうようもない状態になっているので,手の打ちようがなく,公立学校の場合は,「異動」や「クラス替え」で「問題解決」を図ります。

 マスコミも含めて,もう少し早めに「センセイを対象にしたいじめ」の実態を明らかにする努力をすべきかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より