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AとBなら,Bの方がまし,という判断で道を誤った人たち

 教室での学習のリーダーは,(教科)担任の教員です。

 このリーダーが選択を誤ると,被害を受けるのはもちろん教室の子どもたちです。

 じっくり課題に取り込ませるにしろ,多くの事実を語りながら,その関係性に気づかせるにしろ,だれかが調べたことを発表させ,討論させるにしろ,学習では一面的な見方・考え方にとらわれない思考に基づく理解が必要で,わかったことを表現させることによって各自の理解度や思考のあり方を評価することが可能となります。リーダーにとって必要最低限の仕事は,評価の材料=作品を作らせることです。

 その具体的な作品をもとにして,評価の練習をさせてくれる教員養成系大学はどれくらいあるでしょうか。 

 大学の教科教育という専門分野というか専門的な領域がなかなか現場の役に立っていないためか,その存在意義を深く感じられている教師はごくごく少数で,やる気のある人たちは,評判の高い教師に学ぼうとその現場に足を運びます。一部の学校で行われている研究発表のように,優れた大学の先生の話も聞ける場合は一石二鳥なのですが,話が難しすぎると,「やはり子ども相手に実践しているわけではない人は,ダメだね」という印象で終わってしまう。もったいないことです。

 大学の教育学部には,教科教育の専門ではない人もいて当然です。今,どちらかというとこっちの方が現場のニーズがあるらしいことが,さらに残念です。

 教科教育ではない別の分野から,AよりBの方がまし,という判断?から,一部の「できる」子どもを利用する授業のやり方を推奨している人が登場したのは何年前だったのでしょうか。

 子どもを利用する教師の姿は我慢できるとしても,「損得」という価値観で子どもを誘導したり,将来はこんなに悲惨なものだと恫喝したりする神経には,強烈な違和感を覚えます。

 学生のレベルに合わない欧米の理論を押しつけたり,自分が実践したわけでもない方法を押しつけたりする方がまだましのような気もします。

 利用された子どもたちの姿をネタにして稼ごうとする人たちは,何か大切なものを見失っていないでしょうか。

 歴史上では,AとBなら,Bの方がまし,という判断で道を誤った人たちが本当にたくさんいます。

 どれくらいたって「誤りでした」と認めてくれるのかわかりませんが,どうやったら被害を最小限に食い止めることができるかを考えています。

 教師は,失敗から多くのことを学ぶことができますが,失敗する意味もない失敗というものがあります。

 だれかいい加減な未来予測に惑わされないまともな人が1人でもいれば,子どもは救われるのですが。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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