ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 人間の醜さを露呈させる教育方法 | トップページ | なぜ新しい学習指導要領が失敗に終わることがわかっているか »

教員が他の公務員と少し異なるところ

 私は3年間行政の立場にいたので,教員の特殊性を客観的にながめることができました。

 教員は,普段,「上司」の気配をそれほど感じずに仕事ができます。

 行政では,「上司」がいなければ仕事が先に進めないようにできています。

 数々の文書は,「法令通りに職務を遂行してきた記録」なのです。

 そういう文書は現場ではほとんど皆無です。

 その代わりに,子どもたちのために,記録をしっかりと残すこともできます。

 私が作っていた学級だより,学年だよりは,今でも大切な財産です。

 行政にいるときは,「すぐにすべきことが何もない」時間があります。

 教員は,勤務時間のほとんどを常に「子ども」と一緒にいるので,いつも必ず「すべきこと」があります。

 目の前にいる「子ども」は教育という仕事の対象であり,様々に掲げられた目標を達成させるために,多くの働きかけをしなければなりません。

 消防士さんで言えば,火事が常に起こっている状況です。

 警察官で言えば,犯罪が常に起こっている状況です。

 たとえは悪いですが,たとえに近いことが本当に起こることもしばしばです。

 裁判官は,常に複数の案件を抱えて,頭をフル回転していないといけないように,教員も,同じような状況にいます。

 ですから,生半可な使命感では続かない職業です。

 その「半端のなさ」を理解してもらえる機会が,大学にはあまりないのでしょう。

 「動機付け」も非常に大切なのに,それを得るきっかけもない。

 覚悟が決まっていない人が現場にいることが,どれだけ教員たちと子どもたち両方の負担になるか,分かってほしい人は分からないもので,それほど気にする必要がない人が気にしてしまう。

 世の中,難しいものです。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 人間の醜さを露呈させる教育方法 | トップページ | なぜ新しい学習指導要領が失敗に終わることがわかっているか »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教員が他の公務員と少し異なるところ:

« 人間の醜さを露呈させる教育方法 | トップページ | なぜ新しい学習指導要領が失敗に終わることがわかっているか »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より