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教師の二枚舌

 子どもたちは,道徳の時間に「教師の二枚舌」をたらふく味わうことができる。

 大人の言葉を信用できなくなる機会を,小学生のころから学べるチャンスが広がっていることの意味は大きい。

 批判的精神を養う上で,批判の対象が目の前にいてくれると非常に心強い。

 中学校では,小学校での「崩壊事例」をたくさん紹介してくれるが,原因のほとんどは教員にある。

 成熟が早い子どもたちは,すでに親などから「大人」を見る目が養われているのだが,

 そういう子どもたちから見て,崩壊状態を招きやすい教員の特質は「子どもっぽさ」にあるという。

 すぐへそを曲げるとか,まるで子どものような「扱いにくいさ」をもつ一方で,

 機嫌がよいときは,子どもが好きなものを自分も好きだという二枚舌を使って子どもたちの気を引こうとする。

 クリスマスのサンタさんがいるといって子どもを騙し続けた経験がある大人たちは,

 それを本気で信じている我が子を見て,何を感じ取るべきなのだろう。

 サンタさんを信じてしまうような小学生に対して,教員が何を言うかは非常に大きな意味を持つ。

 崩壊が子どもたちに与えるキズの深さをあまり真面目に考えている人はいないのかもしれないが,表面化しないいじめ=訴え出ていないいじめもからんでいる可能性も高い。

 今度だれかに,小学生時代に学級崩壊を経験したことがあるとない人の離婚する確率の違いを調べてみてほしい。

 ついでに調べてほしいことはたくさんある。小学校時代に,毎回クラス替えがあった人とそうではなかった人,担任の先生がよく替わった人とそうでない人ではどうか。

 家庭の成育歴を上回るような相関関係が認められれば,次の段階は,因果関係を知るために教育内容をしっかり把握すべきだという自覚を高めることができるのだが・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より