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脱教職聖職論に飛びつく若者の未来

 教職員組合に所属する教員の中にも,遅い時間まで教材研究や生徒指導に付き合ってくれた人がたくさんいた。

 近くの中華料理店や飲み屋で先輩の先生方と夕食を一緒にとる機会が多かった20代の経験がなければ,今の自分はいなかっただろう,と実感できる。
 
 しかし,「憲法が保障している個人の権利=私の幸福追求権」を頑なに主張し,困っている子どもを置いてさっさと帰宅する人もいた。

 子どもたちが求めているのはどちらのタイプの教師だろうか。

 学校の子どもたちは「一人も見捨てるつもりはない」と言いながら,

 勤務時間を過ぎたら,「俺には家族がいる」と言ってさっさと帰ってしまう教師を見て,

 「ああ,こういう人がいるおかげで,ブラック企業が一掃されて,自分もひどい目に遭わないですむだろう」と希望に目を輝かせる子どもがいるだろうか。

 若い教師たちの中にはいるかもしれない。そういう若者の未来を見てみたい。

 教育現場からの脱落者の言葉を聞いて,現実的な希望を持てる人がいるだろうか。

 たまに現場に介入してくる「外部」の人間の不平不満が現場の教師や子どもたちを幸福にできる世界があれば見てみたい。

 私は家族を大切にする教員を軽蔑しようとは思わない。

 家で原稿を書いたり,家事をやらせたりしている教員も,別に軽蔑はしない。

 ただ,学校に残してきた同僚や子どものことに心を奪われている父親を見た家族は,何をどう感じるのだろうと心配になる。

 一銭ももらえない長時間家事労働に文句を言ってストライキに入る家族がいたりすれば,帰らざるを得ないのかもしれない。 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より